top of page

Musulim 考

  • 執筆者の写真: Miyuki Kubara
    Miyuki Kubara
  • 2016年8月21日
  • 読了時間: 3分

ある者が生を受け、ある共通思念をもつ共同体のうちになげこまれて過ごす。ある日その者をまったく何も知らない誰かがふと彼と出会ったとき、その背景の全体像を自らとの違いとして言葉を越えてなんとなく嗅ぎとることがある。

道すがらわたしに縁のあったイスラム教を背景にもつ男性たちに初め共通して感じたことは、いいも悪いも、原初的アジア的な‘ 男 ’であるにおいだったように思える。

荒々しさも、大きな優しさも、反するその静かな様相のなかに秘められている。決して浮足立たない口調や落ち着き、その自信は自身からのものなのか血族からのものか、たったひとつの神からのものか。

性格の個人差はもちろんあるだろうけども。

彼らを前にするとき、自らの過ごした日本、もしくは先進文明国といわれるような文化と、まるで鏡で照らし合わせるかのごとく真逆であるような感慨と緊張とを感じてしまう。

以前近所の大学に通うアフガニスタンからの留学生がいた。

彼は若年の割にずいぶん落ち着いていて、亡くなった祖父の写真で見た若いころに面影が重なり、どこか懐かしい人のような雰囲気を持っていた。笑った目がとてもきれいで、寡黙そうなその青年の全身に漲る‘生きている’気配に初め圧倒された。周囲のうすらぼけたコンクリの駅や高架下をクラゲのように歩く人々の光景を背に、彼は明らかに異質だったからだ。

聞けば日本で奨学金をもらって政治学を学んでいるという。

政治というのが不思議に思えた。日本と言えば、国民の政治への関心のかなり低い国ではなかろうか。それが、政府の一挙一動で国民の命の大きく左右されるような国のものがはるばる訪れ、何か学べることはあるのだろうか?心配をした。

彼は素直に笑った。

・・・いつかぼくたちの国も、ここの街のようにみんな政治のことなんか考えなくとも、そこそこうまくまわってくれるような日がくるといいな。

外の光景を見ながら答える青年に、青年の肩にかかっているものに、その明るい若さにそぐわない大きくどうしようもないものを感じて、わたしはどきっとした。

・・・けれどもうらはらに、彼は気が付かない。

死の色濃い世界の住人としての彼の、その‘生’は、時を通しその血肉と精神に還元され、深部より輝き出ていることを。それは生きる目的の地図を見失いかけている先進文明人にとっては、眩しすぎるものだ。

彼は週末にあるサッカーの大事な試合の練習のため、仲間たちに呼ばれて去っていった。

・・・・・

年々、‘イスラム’という響きに危険な色合いを載せる、先進側の反応が増していった。

つまり鏡合わせのこちら側、 

絶対的に信じるべきものの無い、思想の自由。

しかし依り場のないこころは次々に何かを求めつづける不安の渦に陥る危険を孕む。

ついに自己にその場を見出し、世を照らすのか、

自己と玉砕するのか。

・・・わたしたちの新しい文明は実験的だ。

いつだったか、パリ郊外の移民層の若者の貧困をドキュメントしたフランスの作家さんが話していった。グローバル化の風にますます仕事がなく居場所を失う若者が集い、過激な宗教組織に入ることが増えてきている、と。パリ地下鉄の中心部と外部との格差がますます広がり、治安が悪化しているということ。  

 パリの街の根強い分断は、つまりはこの星の分断の縮図なのではなかろうか。

神なき文明に対抗する意識がふつふつと、浮いては集い

神なき風にあおられ 燃え盛れば

勢力のテロも対テロも関係なく

それは 過激な時代の表出された   ただひとつの影


 
 
 

Comments


    Like what you read? Donate now and help me provide fresh news and analysis for my readers   

PayPal で寄付

© 2023 by "This Just In". Proudly created with Wix.com

bottom of page